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ならば、私は器になろう。

岡山市に住まう新たな「器」。 フル=フロンタルをはじめとする、多くの人々の思念を受け止める「器」としての役割を忠実に果たしたく思う。 人々の思念が集まれば、再び奇跡は起きるのかもしれない。

見せてもらおうか、広島カープの性能とやらを!

私は広島カープのファンだ。

あえて前置きさせてもらう。

 

性能を見せてもらおうかという言葉は、

ある意味「今年の稲はどうかな」と水田に語りかける

お年寄りの言葉と同じかもしれない。

 

というわけで、本日時点では広島カープは首位だ。

2位巨人とは3ゲーム離れている。

鯉の季節と入ったものだが、ここまで粘り強いとは。

 

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これからのカープは、彼の調子にかかっている。

そう、ブラッド=エルドレッド、その人。

 

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今日の試合ではヒット2本、ホームラン1本。

6月に入って調子が悪かったが、調子は回復したようだ。

ファンとしては、一安心。

 

まじめに言えば、カープがあるから広島はここまで復興したのだと思う。

原爆の災禍にさいなまれても、だ。

 

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ようやくアメリカ大統領、バラク=オバマが広島を訪問した。

未来志向の発言を行い、核廃絶の道のりを指し示した(のかもしれない)

 

オバマがどうこう言う前に、広島の人々はここまで立ち上がってきた。

その苦労は並大抵のものではなかったことと推察申し上げる。

その苦労の過程の中に、カープがあったとすれば。

 

広島カープの性能とやらを語るのは、

その勝利数でも観客動員数でもなく、

カープの存在そのものが、何よりも得がたいものであることを

踏まえることが礼儀だと思うのだ。

見せてもらおうか、113系の性能とやらを!

113系
JR西日本がしつこくリファインして使っている通勤車両。

うーむ、ゲルググリゲルグでもなく。
ドム→ドワッジドライセンでもない。


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ただの塗り替えだな。
これで通常の三倍の性能が出るわけでもなく。


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ドラッツェよりも進化が足りない。

いつまでJR西日本はこの機体、いやこの車両を使うんだ。


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仕方ない、こいつをアナハイム、いや広島から強奪するとするか。
赤いし、ちょうどいい。

見せてもらおうか、チキンラーメンの性能とやらを!

雨の音で目が覚めた。

 

雨はいい。

日常の汚れきった心身を、洗い流してくれるような気持ちになれるからだ。

 

同時に、私にある感情がこみ上げてきた。

「腹が減った」

そう、空腹と言う名の、虚無にも似た、満たされない感情。

 

私は台所に走った。

非常食として保管してある、チキンラーメンを思い出した。

同時にティファールのポットに手を伸ばす。

 

水が蛇口から零れ落ちる。

ティファールのポットは、みずみずしく満たされる。

満たされたポットをセットし、ためらうことなく起動。

 

私はシャア=アズナブルのヘルメット、いや。

同様の白さを持つ丼を用意する。

 

そこに、濃厚な橙色の麺を投入する。

同時に、卵と言う名の栄養豊富なエッセンスを投下。

かつてのジオン公国指導者は、コロニーを地球に落下させた。

私が今、卵を投下した時と同じ気持ちだったのか。

感情の赴くままに、それとも。

 

お湯が沸いた。

私は躊躇などしない。

まんべんなく、丼の中に、なみなみと。

その熱量が、次第に麺に染みわたる光景を、私は欲していた。

しかし「蓋をして3分」と言う説明書きをみつけ、私は驚愕した。

そっと、ふたをして、己の身の不幸を悟った。

 

これが、我慢か。

我慢。

 

なにが、我慢だ。

私がどれだけあがこうと結末は変わらない。

君にもわかるはずだ。 希望も可能性もこの虚無の入り口で人が見る一時の夢。

ならば我慢、我慢など。

 

私は1分で蓋を開けた。

箸を取り出し、渾身の力で麺につきたてる。

そして、混ぜる。

 

いや、混ぜる事すらしなかった。

箸に絡み合う麺を、口に運んだ。

 

固い。

いや、芯がある。

固いのではない、この麺は意志を持っている。

 

「まだ早すぎたのだ」と。

「器」とは。

そもそも、なぜ私が「器」を意識したのか。
誰も興味がないかもしれないが、少しだけ語らせてもらおう。

 

所詮、みな「器」を持っている。
現世に暮らしているもの、すべてが。

その「器」の中に。
自己の欲望と財産を詰め込んでいる者もいれば。
片隅に他者の幸せを願い、世界平和への願いを詰め込んでいる者もいる。

 

でも、考えてみよう。
他人のために、自分の器のスペースを空けてしまう者もいる。
人の幸せが自分の喜びと、笑顔で語る者もいる。
果たして本当に、そうだろうか。

 

誰かのために生きるのは、時に生きがいともなろう。
そこで、自己を否定したり、自己を失ってまで、生きがいを求めるべきか。
私は「否」と即答する。

 

どうして、他者の評価を気にする?
他者の評価だけを持って、自己を肯定しようとする?
それは、現世でカウンセラーという肩書きを持つ私にとっては、理解できないことだった。

 

人の、器。
それを語っていた男がいた。
フル=フロンタル。
自らを「器」と称し、俗世の欲望や支配欲を受け止める「器」としての自分を、客観的に理解していた。
そして、器足らんとする言動に終始した。

 

私は知りたい。
この世の中に「器」があるならば。
自身の器の大きさをどれだけ知っている者がいるか。

ならば、私も器になろう。

ニュータイプになればあの暖かな光をもって時間さえ支配できる。

 

それは夢だ。
地球を包んだあの虹を見ても人々は変わらなかった。これからも変わることはない。
心理からは遠く、光を超える術すら手に入れられず、届く範囲のスペースで増えては滅ぶ、それが人間だ。
導く必要はない。その価値はない。

 

ならば私は器になろう。
空になったこの体に、人の総意を引き受け彼らが願うところを願うとしよう。

 

ニュータイプ、可能性はもういらない。
無為な存在はそれに相応しく、小さく持続できる環境をくれてやろう。
おかしなものだ、これではまるで復讐を誓ってるようではないか。

 

誰のための復讐だ。
シャア?それもいい。
人がそう望むなら私はシャアになろう。 

 

フル・フロンタル赤い彗星の再来。

響きは悪くない。可能性を捨てた人類には似合いの響きだ。

 

永遠の縮小再生産とその果ての閉塞。準備は整っている。
見せてもらおうか新しいガンダムの性能とやらを!

 

今もその思念がこの世の中を漂っているならば。
おもしろい。

 

ならば、私も器になろう。
その思念を受け継ぐ者が、大都会岡山に存在してもよかろう。