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ならば、私は器になろう。

岡山市に住まう新たな「器」。 フル=フロンタルをはじめとする、多くの人々の思念を受け止める「器」としての役割を忠実に果たしたく思う。 人々の思念が集まれば、再び奇跡は起きるのかもしれない。

「器」とは。


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そもそも、なぜ私が「器」を意識したのか。
誰も興味がないかもしれないが、少しだけ語らせてもらおう。

 

所詮、みな「器」を持っている。
現世に暮らしているもの、すべてが。

その「器」の中に。
自己の欲望と財産を詰め込んでいる者もいれば。
片隅に他者の幸せを願い、世界平和への願いを詰め込んでいる者もいる。

 

でも、考えてみよう。
他人のために、自分の器のスペースを空けてしまう者もいる。
人の幸せが自分の喜びと、笑顔で語る者もいる。
果たして本当に、そうだろうか。

 

誰かのために生きるのは、時に生きがいともなろう。
そこで、自己を否定したり、自己を失ってまで、生きがいを求めるべきか。
私は「否」と即答する。

 

どうして、他者の評価を気にする?
他者の評価だけを持って、自己を肯定しようとする?
それは、現世でカウンセラーという肩書きを持つ私にとっては、理解できないことだった。

 

人の、器。
それを語っていた男がいた。
フル=フロンタル。
自らを「器」と称し、俗世の欲望や支配欲を受け止める「器」としての自分を、客観的に理解していた。
そして、器足らんとする言動に終始した。

 

私は知りたい。
この世の中に「器」があるならば。
自身の器の大きさをどれだけ知っている者がいるか。